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3度目のオリンピック 

2008年、北京オリンピック開幕!!

昨日の開会式は、中国の気合いが伝わってくる壮大なショーだった。
今日はヤワラちゃんが銅メダルを取った。
金メダルは逃したけど、磐石の実力で、
4年ごとにこの人の姿を見ると、
一段飛び抜けた人とはどういうものか、見せ付けられる。
そういう人が世の中には居るんだってことを思い出させてくれ、
自分のヌルさに思い至り、感慨深い気持ちになる。
あたしも、あたしの世界で頑張ろうって思うんだよね。
この、オリンピックというものには、特別な思い入れがある。


あたしが、師匠と二人で太尊をやりはじめたのは、2000年からだった。

2000年はシドニーオリンピック。
ちっぽけな中古の、たまに横に縞が走る、ボロッちいテレビで
師匠とふたりでシドニーを観た。
当時のあたし達には、得てるものより欠けてるもののほうが多かったし
不安定な中で、二人で寄り添って頑張っていた。
負ける気がしない確信、それだけを師匠はくれていた。
ボロッちいテレビ、いつ沈むかわからない小船。
今だから言えるけど、そんな感じだった。
それでも諦めないモチベーションを持ち続けることができる空気、
それが生まれる場所なら必ず道は開ける。
師匠の経験と人柄と技術、あたしの若さと生真面目な情熱。
何より二人の団結の力で、太尊は前に進んだ。

2004年、アテネオリンピック。
師匠は病気で入院していた。あたしは一人で店をやっていた。
だから一緒にテレビを観る時間は少なかったけど、
一緒に過ごせるときは、病院でも、店でも、師匠の家でも、
オリンピックを観た。
太尊でもこの頃には、テレビを買い換えて、
前よりはいい画像で観ることができたし、
テレビの形が変わったことで、
4年の年月と、ささやかな前進に想いを馳せた。

そして2008年、北京オリンピック。
4年ごとのこの世界的イベント。
また今年もオリンピックの年がやってきた。
師匠は2006年に一生懸命病と闘った末、亡くなり、
一緒に先の思い出を作ることができない存在になった。
それでも、太尊がある限り、太尊が生きている限り、
師匠は生き続けているのだ。
8年経って、店もよくなった。
本当に、あの頃を思うと、よくなった、と思う。
味も、店内の居心地も、厨房も、設備も、お客様の層の厚さも、何もかもだ。

あたしは、店をやっていて、迷うことはほとんどない。
淋しいときも、たまにはあるが、淋しい「時もある」ということだ。
「淋しかったら、淋しくないようにすればいい。自分で求めて動けばいい」
と教えてくれた人が少し前にいたのだが
その言葉と、その言葉が救ってくれた、あの時の喪失感だけは
一生忘れることはないだろう。
師匠が亡くなって一時期は無性に淋しかったけど
今は淋しい気持ちよりも、未来への期待のほうが大きい。
あたしは、弱い人間だが、太尊を守っている限り、負ける気がしない。

2012年、次はどんなオリンピックだろう。
その頃、あたしはどうしてるんだろう。

どんな場合でも、前を向いて、先を見つめて、
希望を持って進んでいたいと思う。

そして、願わくば、今の幸せが続きますように。

太尊が、今よりももっといい空間と味を提供できるように、
成長していますように、と、見えない未来に想いをかける。

何より、人に必要とされる存在で在り続けたい、と
心から思っている。



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