スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

実家に帰る~②豊橋での濃い一日 

もう一週間以上経ってしまったが、やっぱり書いておく。

名古屋のRの家に行き、その夜のうちに豊橋に行った。
豊橋に行く、というのは、帰る、という意識が働く。
転勤族のサラリーマンだった父の率いる私の家は
引越しが多かった。それが当たり前だと思っていた、というか
思うようにしていたが、高校になって初めて、入学式と卒業式を
同じ学校で過ごすことができた。
実家の家があり、墓があり、友達がいる、
人との付き合いが稀薄になりがちだった私にとって
豊橋という街は特別な街だ。

連絡をしておいたら、亡き父の兄であるおじさんが
駅まで車で迎えに来てくれた。
おじさんは、本当にあたしが来るのを楽しみにしてくれている。
弟である父が亡くなっていることが大きいと思うが
もともと懐が深く、気性が一番似ていることもあって仲がいい。
実家に帰って寝るつもりだったが
おじさんの顔を見たら一緒に飲もうよ!という気持ちになって
おじさんの家に泊めてもらった。
ビールと焼酎で深夜遅くまで延々酒を飲みながら、
いろんな話をした。海外旅行が好きなおじさんの世界中の思い出話や、
亡き父の話や、今の仕事の話など、話がほんとに尽きなかった。

朝起きて、実家の家の瓦の様子をおじさんと一緒に見に行った。
まず、瓦より先にビックリしたのが、フェンスが3枚飛んでいた。
それからガレージのトタン屋根が一枚バキンと折れてぶっ飛んでいた。
ヒー、と思いながら瓦に目をやると、
風の通り道になっているのだろう、
屋根のカドのところがブカブカと浮いていて
さぁどうしたもんか・・と現実逃避したくなってしまった。
家の裏側に回ると、屋根の内側ってオレンジ色だったのね、と
初めて知ったが、2階の瓦が取れて1階の屋根に当たり、
そこでも瓦を割っていた。
だが、おじさんが、知り合いのツテでちょちょちょいと電話して
すぐに直してもらえる手はずがついた。
自営業を長くやってることもあって、おじさんはけっこう顔が広い。

そのあと、庭の草むしりをした。
人が住んでいない私の実家は、それはもうすさまじく雑草が生い茂り
大変なことになっているのだが、駐車場の範囲だけでもやれるだけやった。
畑を持っているおじさんは、除草剤を作ってきてくれて
あたしが草をむしったあとに、撒いていってくれた。
おじさんは、この10年、あたしたちが豊橋を離れても
ずっと庭の雑草を、草刈機で刈ってくれている。
そして、一度たりとも、恩に着せたことがない。

家にツタまで生えていて、それもブロック塀に上ってむしりとった。
名古屋に嫁に行ったRのお父さんが、ツタが生えていることを教えてくれたのだ。
家の面倒をみていると、この家を守らなければ、という意識が
自然と芽生えてくる。不思議なもんだ。昔は正直疎ましかった。
あたしはやっぱり、農家の血筋を引いている、と思うのはこんなときだ。
今あたしは、故郷の土地が愛しい。

おじさんと一緒に、新しく出来た回転寿司に行ってたらふく食べて
それから父と母の眠る墓のある、お寺に行った。
地元のお寺さんで、この近所はみんなそうだけど、先祖代々の墓がある。
おじさんとお寺のおっさん(お坊さん、という意味。なぜかみんなこう呼ぶ)
に挨拶して、二人でお参りした。
おじさんが、先祖の墓の詳しい説明をしてくれた。
初めて聞く話もたくさんあって、自分のルーツというものを見つめることができた。

仕事仕事で、なかなか墓参りができず、
なんか置き忘れているような気がして落ち着かなかった。
父と母の墓に手を合わせていると、なんとなく心が落ち着く。
あたしの父と母が何かを望むとしたら、墓参りよりもきっと
あたしと妹が、まず健康で、主観的でかまわないから幸せを感じながら
暮らしていること、そして、何よりもきっと、
あたしと妹が仲良くいることだ。
だからあたしは、自分に出来る努力をしていこうと思う。
それでも、後半は、お願い事が増える。
店がずっとうまくいきますように、だとか、
いい人とめぐり合えますように、だとか、そんな感じで。
お父さん、お母さん、よろしくお願いします。

それから、おじさんが、ドライブに連れて行ってくれて、
豊橋港で納車前の外車や輸出する国産車がズラッと並んでいる
ところを見せてくれた。
豊橋に住んでいたといっても、子供だったし
結局あたしが知っていた豊橋は本当に狭い狭い範囲だった。
もっともっと、豊橋のことを知りたいな、と思った。

大人になると、同じものの見え方が変わる。
今にしてあらためて思うが、あたしの視野は狭かった。
15のあたしの見ていた豊橋と、35のあたしの見ている豊橋は
まったく違う街だった。

おじさんと別れて、家の雨戸を全部開け、空気を入れ替えて、
畳の上に横になった。
南北の風が大きく通る、この部屋の畳に横になるのが
あたしは本当に好きだったし、今でも好きだ。

しばらくして、近所に住むイトコで、
中学の同級生であるリカちゃんの家に行ってみようと思った。
夕方だし、仕事帰りを見計らって、電話してみた。
おーひさしぶりー、なんつーイキナリなんだ~~と言いながら
会おう会おうという話になった。

歩いて5分のリカちゃんの家にテクテク歩いて出向き、
リカちゃんちで二人でビールを飲みながら、
近況やら、仕事の話やらで盛り上がった、
気性が微妙に似てるというか、商売の話が出来るのは
あたしの友達では群を抜いている。頭が切れるのだ。
(リカちゃんは、あたしよりもはるかに実利的に頭がいい。)

商売のセンスがある子なので、相談にも乗ってもらった。
ご無沙汰しているご家族にも挨拶したら
レア物の焼酎をおみやげにくださった。
突然押しかけたのに、すみません。ありがとうございました!

時間が無い中、駆け足で出かけて、
リカちゃんにおじさんの家まで送ってもらって、
おじさんが駅まで送ってくれた。

それから新幹線に乗って帰ったのだが、
新幹線使いさえすれば、豊橋って遠くないよな、
と初めて思った。近鉄→名鉄だとめんどくさいんだけど、
新幹線だと便数は少ないけどひかりも停まるし。

一日あたしのことを気にかけて、世話を焼いてくれたおじさんに
今度はおじさんに会いに来る!と伝えて車を降りた。
おじさんはうれしそうな顔を見せてくれた。

おじさんも年をとった。
会いたい人にはなるべく早く、一度でも多く、会っておくべきだ。

台風の後始末での帰省だったが、
想像以上に中身の濃い、いい帰省だった。

あたしの愛するこの街と、愛する人たちが
これからも、健やかで幸せでありますように。

在り続けてくれて、ありがとう。




スポンサーサイト

コメント

そんな豊橋に住んで3ヵ月と半分くらいが過ぎました。
私は人生の前半戦を豊橋、後半戦を大阪と、
ちょうど半分ずつくらいですが、大人時代の全てを大阪で過ごしたので、
未だ何となく馴染めず、大阪に帰る度にホッとします。
正に故郷は遠くなりにけり、です=3
ところで今更ですが台風で怪我人が出なくて良かったですね☆

>みながーとさん

この間は、用事が出来てしまってライブに行けなくて残念でした。
ご連絡もせず、ごめんなさい。
また曽根崎のライブにお邪魔させていただきます。
大阪と豊橋、行ったりきたりの生活は大変だと思いますが
大切な土地がふたつあるというのは
私はいいことだと思います。
土地には人がついていて
人が土地を豊かにしてくれる。
そう思うと、喜びも二重になるし。
大阪の刺激が身体に馴染んでいるみながーとさんには、
ちょっと物足りない街でもあると思いますが、
豊橋ののどかさを愛してあげてくださいね^^

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://taison88905.blog95.fc2.com/tb.php/552-244a88a8

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。